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小説紹介

タイトル:まちきん技術師


まちきん技術師誕生!

序章 

町乃融資はまちきん技術師と名乗っている金融のプロである。金融といっても名前のとおり、街のしがない金融会社を経営する一人社長である。本名は町野有司という親がつけた立派な名前があるのだが、金融会社を経営するようになってから文字通り、町乃融資と名刺に刷り込んで、必要なときに、必要な人にだけ渡している。

隠しているわけでもなければ、恥じているわけでもない、やたら名刺を配るのがもったいないと考えているだけである。従って、酒をたしなまない有司にはありえないことだが、たとえそれが銀座の超一流を名乗るクラブでも、屋台の親父でも同じであり、仕事以外は一切名刺を使わない。

彼の利息は幅があることで有名である。別にえこひいきしている訳ではない。高い利息を取って貸し、むしりとれる場合はムシる。堅実に返せる人には堅く貸す。そうしなければ、この商売では長くやっていくことはできないことを良く知っているのである。ムシってはいけない人からムシっては、いつかぼろが出る。そう考えて彼は世の中を渡っている。従って一人社長という事実に対する認識はあっても、一匹狼とは思っていない。彼はお客様とともに世の中を渡っていると信じている。ただ、渡り方がちょっと特殊なだけで、固いお客には尾行用の通信機を持たせる程度、むしり客には手錠をはめてセーターで包み、一緒に世の中を渡っているだけと考えている。

有司は今年の11月11日で39歳になる。妻子も居たが離婚して、今は独身である。離婚するまでは銀行の子会社であるリソウ保障という会社に勤務していた。いわゆる債権回収会社に勤務する以前は銀行マンだったが、バブルの破裂とともに子会社に出向させられ、そのままそこに勤務することとなった経験を持っている。それが、まちきんを経営することになる基礎となった。

彼がなぜこの道を選んだのか、それがこの物語を書く目的である。

第1章

町野有司は一人社長といったが、正確に言えば26歳になる高山奈津子という女性契約社員が一人いる。しかし、契約社員とは名ばかりで実態は時給2001円のパートである。1円を加えたのは、この1円はただの1円ではなく金に厳しい有司の、パートナーに対する独特な期待の表現だった。奈津子は、そんな有司の気持ちを知ってや知らずや、法律の専門家として時には徹夜も辞さないというタフネスウーマンでもあった。

 三流大学出の有司と違い、奈津子は東大法学部を首席で卒業していた。彼女は数年前、卒業と同時に結婚した。自ら進んでというよりは、相手が強く結婚を望んだからである。しかし、離婚した今になってみると、結婚した相手は、東大法学部建学以来、初の女性主席卒業という彼女を、卒業後すぐに結婚させることにステータスを見出していたようである。そんな家系の男子と結婚した自分の愚かしさを今でも奈津子は深く恥じていた。

 離婚した当時も、そして町乃融資事務所に勤務するようになった現在も、受験すれば司法試験には合格できるだろうと考えていた。しかし奈津子は受験しなかった。受験するためには一年は勉強せねばならない。そして合格後は司法修習生としての道が待っている。とすると事務所はやめねばならない。何故か判らないが、この事務所に奈津子は不思議な魅力を感じていた。そして、『いつでも取れるわ』
 と彼女は考えそれ以上は深く追求しなかった。

 奈津子の主任教授である仙頭は才能を惜しんで結婚に反対したが、離婚を聞くとわざわざ家にまで訪ねてきて復学を進めた。しかし、彼女は心の中でこれからの人生は自分で決断すると誓っていた。そこで、奈津子は笑ってイエスともノーとも返事をしなかった。仙頭が不思議そうに彼女を見たのを、彼女は今でも笑いながら思いだした。奈津子は学生の頃、イチマンとあだ名されていた。法律に関しては、一を聞いて十を知るどころか、万が判るほどの理解力と想像力を持ち、活発な発言能力を持った学生だったからである。

 そんな彼女を仙頭はわが娘のようにかわいがった。彼がそれほどかわいがったのは、生きていれば奈津子と同い年の一人娘とダブって見えたからであろう。仙頭の娘は奈津子に負けず劣らずの才能を持ち、いずれは仙頭の跡を継ぐと中学校の頃から宣言するほどの才気煥発な娘だった。その娘が高校1年の時、通り魔に殺された。

 そんな思いと奈津子の学生時代の才能を知り抜いている仙頭にとって、彼女があいまいに笑って返事をしないなどということは、信じられなかったからである。しかし、仙頭はすぐに奈津子の気持ちを理解した。『大人になった。』
と仙頭は思った。それ以来、彼は奈津子の父親代わりになり、彼女を陰で支えようと密かに誓った。案の定、奈津子の結婚はうまくいかなかった。結婚相手の筒井家は、ステータスをひたすら追及する、そんな家柄だった。例えば衣類でいえば、スーツや普段着は勿論、靴下からそれこそ下着まで超一流ブランドでなければ許されなかった。奈津子はそれを難なく着こなした。

 しかし、彼女は外国製のブランド物より日本の、それも、幼馴染の同級生である牧野和泉の経営するブティックで総てを揃えるのを好んだ。しかし、結婚して一ヵ月後、和泉と昼食を終えて帰宅し、着替えようとしてワードローブを開けると、奈津子の洋服がきれいさっぱりなくなっていた。彼女は義母に怒りを抑えて尋ねた。『私の洋服をご存知ありませんか?』
義母は『さあ、存じませんわ。第一どうして私が、貴女のお部屋に無断ではいるのですか?はしたない。』 そう言いながら奈津子を見たその眼が、かすかに意地悪く笑っていたのを、今でも彼女は忘れることができない。

 それでも2年我慢した。そうしたのは結婚相手の純一が優しかったからである。しかし、そのやさしさは、時と共に単なる優柔不断の裏返しと見えた。奈津子は働きたかった。しかし、筒井家はそれを許さなかった。彼女は希望すれば何でも与えられた。労働の自由以外は。

 そうした毎日が次第に彼女の精神を蝕んでいった。それに、いち早く気がついたのは牧野和泉だった。楽しそうな洋服選びの会話が、どこか空々しいのを和泉は感じた。
『おかしいなあ。買ってくれるのはありがたいんだけど、預かるばっかりでさあ。見てよ』
といって和泉は小部屋のドアを開いた。そこには1シーズン分、百着ほどの衣装が吊るされていた。その時、奈津子は答えようとして急に吐き気を感じた。『奈津子、あんた・・できたのじゃない。』と和泉がいった。その時奈津子は、妊娠したのをはっきり自覚した
『取られる。』
と彼女はつぶやいた。生まれた子供が筒井家に取られるという恐怖が彼女の背筋を襲った。思慮深いと思っていた自分からは、信じられない決断の早さだったが、今ではそれが自分本来の姿に戻っただけだと理解していた。奈津子はそのまま実家に帰った。そして、二度と筒井家の門をくぐらなかった

 その年の冬、奈津子は実家で自分によく似た女の子を産んだ。退院すると奈津子はすぐに職探しを始めた。一人娘だった彼女の家は父親の残した遺産でそこそこに豊かだった。それでも奈津子は自立しようとした。家は筒井家の経営する株を所有しており、その配当で維持されているのを知っていたからである。

 奈津子はハローワークへ通った。大学は勿論、仙頭教授の所へも顔出しはしないと誓っていた。紹介された会社はことごとく、彼女の学歴を持て余した。経歴書を出すと面接者は困った顔で奈津子を上目で盗み見た。『後日連絡します。』と担当者は判で押したように答えた。東大卒の従業員はいらないとその顔に書いてあった。

 ことごとく不合格であった。だが、彼女は経歴をごまかそうとはしなかった。しかし、奈津子は困り果ててもいた。数ヶ月、ハローワークに通いつめた挙句、所内の求職用コンピューターにもう一度眼を通した時、契約社員募集が眼に留まった。「民事の法律専門家1名、金融に詳しければなお可、時給2001円、町乃融資事務所」
『面白そうな経営者だな。』と奈津子は思った。そして、早速面接に行き、即日採用になったという訳である

第2章

 有司は鏡を見てヒゲを剃りながら、小さく鼻歌を歌っている自分に気がついて思わず舌打ちした。ヒゲを剃っているのは、娘の麻里菜と二週間ぶりに二人だけで会う準備であった。そして、ウキウキする自分を抑えようとしていただけに、抑え切れない自分に舌打ちしたという訳である。
『素直でないねえ、有司さんは・・・』
と苦笑いしながら有司はかみそりを洗面台に放り投げた。

娘に会うのがうれしくて、おしゃれするのが何故悪いと思いながらも、そんな自分が許せないと考えるへそ曲がりな自分に、ちょっと照れて見せたということなのだろう。有司はワンルームの片隅にしつらえたシングルベッドにゴロリと転がった。そして、しばらく天井を見つめた。

『もう別れてから二年になるぞ。いい加減に慣れたらどうだ。そして、照れ隠しもするな、有司。離婚したからといって恥じることはないし、娘に会って何が悪い。ひねくれちゃいかんぞ。』
としきりに自分に言い聞かせていた。

そしてシャイという言葉が思い浮かびかけたのを打ち消すように起き上がり、ハンガーに掛けられたカラーシャツを着始めた。10枚ほどハンガーに掛けられた中から無造作に取り出したものは、薄いグレーピンク地に紺とグリーンの細いストライプ柄のものだった。それは、娘の麻里菜が一番のお気に入りシャツであることを知っていたが、今度は照れることはなかった。思い出して見ると麻里菜と会うときは、このシャツ以外に着て行ったことがなかった。
『またそれえ。ばっかみたい。』
といいながらも麻里菜がそれを喜んでくれるのを有司は知っていたからである。ネクタイは横ストライプのニットタイ、これも真理菜のための定番だった。

銀行員であった有司は勤務中、紺かグレーの三つボタンと決めていたが、リソク保障会社に左遷されてから、次第にスーツを着なくなり、最後は上下別のカジュアルで押し通してきた。一言で言えば、不良中年になっていったというわけである。もともとその素質は充分にあった。中学生の頃から親に隠れてカジュアルな服装を着こなしていたし、バイクも好きだった。ただ、親が心配しないよう、友達のアパートに置かせてもらっていただけであった。

従って有司にとっては、銀行を左遷されてから押し殺していた自分を徐々に解放してきただけだが、そんなことを知らぬ妻の寛子や仕事関係の人達にとっては、有司がヤケを起こしたとしか見えなかった。しかし、見る人が見れば彼の着こなしは堂に入っており、ぽっと出の男とは違うことがわかっただろうが、残念ながらそれがわかる奴は、周りにはいなかった。
『まあいいさ』
 娘はわかってくれているし、高山奈津子も褒めてはくれないが一目置いていることは、出勤時に有司の服装をそれとなく点検している目つきでわかっていた。

『そんなことは、どっちでもいいさ、俺は俺が楽しければそれでいいし、人がそれを楽しんでくれればもっといい。』と有司は思った。
『さて、お嬢様にご面会しに出かけますかね!』
威勢良く言葉に出すと、有司はドアを勢いよく開け、後ろ手に閉めた。ドアは大きな音を立てて、バタンと閉まった。

第3章


 麻里菜とは二週間に一回、第一土曜日と第三土曜日に二人だけで会うという契約を、母親の寛子と交わしていた。はじめはドライブに行ったり、テーマパークへ出かけたりしたものの、すぐに二人とも飽きがきた。

 そんなある日の土曜日、有司は麻里菜と昼飯を食いに、ロックガーデンという名のカフェに入った。ロックガーデンは海岸段丘の上を走る国道沿いの海側に立っていた。屋外のデッキは勿論、部屋からも眼下に広がる海が見えた。水平線は右方向へかすかに、海岸線は左方向へ大きく弧を描き、砕ける波が青い布地を縁取る白いレースのように広がっているのが見えた。

 注文したバニラを舐めながら、いきなり麻里菜は歯切れのいい質問をぶつけてきた。
『私と居て、楽しい?』
『おいおい、いきなり何だい、楽しくないと思うのか?』
『一度きりだったけど、工房に連れて行ってくれたよね。伝統工房だっけ?あそこの、ガラス細工、もっとやって見たいな。』
『ふ−ん・・・。俺に気を使ってるのか。陶芸なら自分のマンションでやってるから、気にしなくていいぞ。』
『でも、お母さんと別れる前は、土日はずっと陶芸タイムだったじゃない。陶芸には興味ないけど、ガラスは面白いのよ。第一きれいだし。』
と言いながら、麻里菜は携帯のストラップにつけた、直径1センチほどのガラス玉を見せた。ガラス玉は乳白色をベースに青いラインが巻きつき、赤い点が数箇所、散りばめられて光っていた。
『じゃあ,行くか。』

 青のロードスターはゆっくりとしたスピードで走り出した。有司がトップにギアに入れるのを、見計らったように麻里菜が切り出した。
『私、学校を変わったの、知ってる?』
『ああ、』
『原因も聞いてる?・・・そう、イジメ。その子達に言わせると、親が別れたのは私の所為なんだって・・・。餓鬼のセリフよ。だから、変わる程のことではなかったの。でもお母さんに話したらだんだん話が大きくなってね。とうとう転校になっちゃった。』 麻里菜はいたずらっぽくペロッと舌を出した。
『で、今はどうなんだい。』
『私立に変わってからは、そう・・・まあ快適かな。』
『そりゃよかった。』
有司は『くそっ・・』
と思うと同時に大脳がジュッと焼け付くのを感じた。そんなセリフしか言えず、何もしてやれない自分に腹が立った。

今日は麻里菜の13回目の誕生日だった。それで二人は久しぶりに伝統工房へ行くのをやめ、彼女の服を買いに行く約束をしていた。

地下鉄を降りると有司は、いつも麻里菜と待ち合わせるオープンカフェまで歩き、エスプレッソを注文した。そして、歩道を行く人を眺めながら、ゆっくりと黒い液体を口に含んだ。有司はこの席に座り、目の前を歩いている人の群れを見ながら、自分がこの人達から一人隔てられ、傍観者としてしか機能できないと言う、いつもの甘い錯覚を楽しんでいた。その夢を携帯のベルが引き裂いた。
『おとうさん?』
『ああ』
『ごめん、今日はだめ。』麻里菜の声はえらくかすれ、息使いが荒かった。
『風引いちゃって・・・ごめんね』
『あやまることは無いさ。早く直せよ。』
有司は通話を終わると『ふうっー』と大きくため息をついた。

第四章 

『借りた金は返す』というのは当たり前だとみんな思っている。有司も当然そう考えている。しかし、有司は『返せない金』まで返す必要は無いと考えている。日本は昔から借り手の責任だけをひたすら追及してきた。テレビドラマでよくやる『借りた金は返すのがあたりめーだろう!』となって、娘が泣く泣く売られていくというあのシーンである。

 しかし、金を借りると言う行為はれっきとした商行為である。借り手責任があるというなら、貸し手責任もあるのが普通の世の中である。しかし日本はそうではない極めて特殊な国である。貸し手というのはいわゆる金融業者であり、銀行は当然これに含まれている。その彼らは貸した責任を一度でも取ったことがあるだろうか?モラルハザードを最も恐れるのは、借り手ではなく、ごく一部の貸し手であるという事を忘れてはいけない。

 銀行マンや頭取が貸し手責任を感じて、身を投げたなどという話は古今東西、聞いたことが無い。ましてや、自分に掛けた生命保険金で清算するなど、愚の骨頂である。銀行を破産させた前頭取の退職金が数億円といった話はざらにある。彼らは、家族は当然のこと、家も土地も合法的に守られている。

 彼らは無限責任を負わない。当然である。とすれば、借り手も無限責任など取らず、何とか借金地獄から抜け出す方法を実行すべきである。つまらないプライドは捨てろ、プライドで飯は食えない。これが有司の金融に対する考えである。

 有司は銀行員として、保障会社社員として、借金を取り立てるよりは、これを合法的に清算する側に回りたいと考えた。そこで彼は民事再生コンサルタント会社である『まちきん技術師』事務所を開設したというわけである。

 この事務所を開設する前、有司は手痛い月謝を支払っていた。
1990年、銀行員だった彼が購入した都心の中古マンションは70m2程度であったが、価格は6000万円を越えていた。その後、10数年かけ、価格は確実に下落し、銀行員から子会社へ派遣された時、価格は4割に、収入は7割に減っていた。妻の寛子はパートに出たが、そんなはした金で返済できる金額ではなかった。そして離婚、そんな修羅場を有司はくぐって来た中で、借金地獄を抜け出る方法を会得してきたのである。

 彼の事務所には座右の銘が掛けられており、ここを訪れる人は、ドアを開けたとたん、いやでもこれを読む羽目になる。曰く
 リストラされたことを恥じるな!
 事業の失敗を恥じるな!
 借金が返せないことを恥じるな

とある。

 有司はこれをまちきん技術師三か条と呼んで額に飾り、ここを訪れる人の心理的負担を軽減することにしていた。

第5章 

 銀行とまち金はすべてイコールで結ばれるわけではない。それでは、銀行のどこがまち金と変わらないか、例えば返済が滞ると銀行は、子会社である保障会社、有司が勤めていた銀行の場合ならリソウ銀行はリソウ保障鰍ノ債権を引き取らせる。リソウ保障は抵当となっている不動産の競売を、裁判所に申し出るのが普通である。

しかし、すぐに競売が開始されるわけではなく、手続き上一定の時間を必要とする。平均的には8ヶ月といわれているが、この間、保障会社は債務者に貸し付けた金の利息を請求する。金利は利息制限法に定められた上限、つまり、元本10万円未満は年利20%、元本10万円以上100万円未満の場合は年利18%、元本100万円以上の場合は年利15%と定められている。

もしこれ以上の利息を取った場合、金利の引き直しといって、余分に取った金利は債務者に返還しなければならないのはまち金も、銀行=保障会社も変わりはない。そして、一般的に銀行=保障会社は金利の上限で利息を請求するのである。

年に15%の利息とは4000万円のローンがあると、600万円の利息となる。15%は当然ながら競売手続き中も債務者にかかる。これは昔から貸し剥がしと呼ばれており、この意味で銀行もまち金もまったく差異は認められない。違いといえば銀行は、目玉を売れ、腎臓を売れとあからさまに言うほど、馬鹿ではないということである。

有司は銀行の同僚が、不良債務者用につくったという小話集を見たことがある。

『屋上から飛べば終わるっていいますが、先日、5階からやった社長がいましてね。下が芝生だったものですから、両足骨折ですわ。私がやるなら、10階以上ですな。それと、よく下を確かめること、これに尽きますなあ。私なら、借りた金は返す・・・ねえ社長さん。』

要するに誘導尋問の羅列である。勿論、こんな銀行員が大勢いると有司は思わないが、野放しであるのも事実であった。『見て見ぬ振り』これができなければ生きるのに苦労することになるのは、一般社会も銀行も大した変わりはない。そう有司は考えている。
『俺には見ぬ振りしても判るんだ。嫌な渡世だねえ。』
と、あの当時、有司は妻の寛子に訴えた。
『あなたがそうなるわけじゃないでしょう。やくざみたいな口利いて。』
有司はため息をつくばかりだった。
「どの世界でも見て見ぬ振りをしているじゃないか。何で出来ないのだろう。」
そう自分に言い聞かせながら眠りにつくと、有司は決まって同じ夢を見た。

夢の中で有司は命令されて埋葬用の穴を掘らされていた。そこは砂地であるが何とか掘ることが出来た。穴は次第に深くなり、とうとう有司の背を2倍ほど超える所までくると、突然、砂の壁が水と共に崩れ、有司はあっという間に生き埋めになる。口の中にまで水と砂が入りこんでくる。有司は助けを求めて叫ぼうとするが、砂が喉に詰まって声が出ない。ああ、もうだめだ。とあきらめるが、ちっとも死なない。

そのうち、ゆっくり体が腐っていくのが判る。手足がまったく動かないのに何故体が腐るのがわかるのか、と思うが、腐りかけの桃のようなヌルっとした感覚がどこかにある。いや、これは体ではなく、心が腐りかけているのだ。そう観念したところでいつも眼が覚めた。少しも怖くはなかった。ただ、腐っていくあのヌルッとした感覚が、いつまでも残った。

そんな生活が3年ほど続いた。そして、寛子の誕生日の夜、同じ夢を見た有司は
『もうたまらん。』
とつぶやくと家を出て、二度と敷居をまたがなかった

第6章

 有司はソクラテスの『悪法も法なり』という言葉が嫌いである。有司に言わせれば『悪法には法の抜け穴を持って対抗せよ。』が正解であると考えている。法は所詮人間が定めたものであり、全知全能の神が定めたものでない以上、間違いがあったり、時代にそぐわなくなったりして、悪法となることがよくある。更には始めから、悪意に満ちた法律というのもあるのである。そんな悪法がわが身に襲い掛かってきたら、従うのではなく、
『知恵の限りを尽くして戦え。』
有司は今でもこの考えは間違いではないと信じている。しかし、彼にはこのことに関して、苦い思い出があった。

 連帯保証人という言葉を知らない人はまずいないだろう。しかし、この制度は実にあくどいことを法的に保障している制度であることをご存知だろうか。この制度は債権者から請求されたら、例え債務者が破産前でも即日全額、連帯保証人が耳を揃えて返済しなければならない、という制度なのである。

 有司は銀行員時代、先の担当者から有藤という中小企業経営者の担当を、引き継いだことがある。中小企業に融資する場合、銀行は必ずといっていいほど、連帯保証人を要求する。そして、この要求に応じなければ銀行は金を貸さない。つまり、銀行は土地を担保にした上、更に人質として連帯保証人を要求するのである。

 しかし、有司に言わせれば
『事業評価が出来ないわけがない。あいつらはプロさ。しかし、評価で金を貸すわけじゃないのさ。担保と連帯保証で、自分の身の安全はおろかあわよくば毟り取る。何のことはない高利貸しと変わりゃしない。』
ということになる。

 有藤の破産は眼に見えていた。そしてある日有司は上長に呼ばれた。『有藤の件だが、四四六で処理してくれたまえ。』
 四四六というのは民法四四六条である。そこには、「保証人は、主たる債務者がその債務を履行しないときに、その履行をする責任を負う。」とある。

 有藤は5000万円の借り入れを10回合計で5億円、借り入れを行った。そして、その都度異なる連帯保証人を立てるように銀行から指導されていた。というより、同じ保証人では金は貸せないと言われたのである。そして、有藤は親類縁者やら友達やらを巻き込んで、その度に1億円の根保証を債権者との間で結んでもらった。銀行は1億円×10人=10億円、つまり、債務不履行になれば、有藤の担保物件には手をつけず、あわよくば10億円、差し引き5億円も連帯保証人から毟ることが出来る、という訳である。
 
 その結果、連帯債務者の一人が首をくくって死んだ。

 『一人で済めば上等、上等。法律を知らない奴が悪いのさ。』と上長は言う。なるほど、その通りだ。では、『借りるほうは、眼には眼を、歯には歯を、あくどい法律には、あくどい手だてで身を守る以外にないだろうな。』
そんな言葉を飲み込んだまま、有司がリソウ保障鰍退職したのは,数ヶ月前のことである。

第7章

金融コンサルタントを名乗り、まち金事務所を開店してから3ヶ月、客は全くなかった。有司は時々旅行かばんを片手にどこかに出かけ、帰ってくると干物やら海草やらを土産にくれた。しかし、勤め始めてこの方、奈津子は留守番ばかりで、仕事らしい仕事をしたことがなかった。

『一体何を考えているのだろう。』

野球帽で顔を隠し、机に足を投げ上げて狸寝入りしている有司を横目に見ながら、奈津子はこの先のことに思いをめぐらしていた。

『どうするつもりよ!この先。』

と啖呵の一つも切ってみたいが、相手は社長である。チャランポランな男に見えるが、面白いのである。どうするのか?しばらく様子を見る手もあった。「こちらの提案を受け入れる柔軟性があるかどうか、試してみるか。」と奈津子は考えた。

『あの・・・』

『ん??』

有司はかぶっていた帽子を取って奈津子を見た。

『この先のことですが、私、このまま給料を頂いていていいのでしょうか?

『ん、ん??』

『考えがあります。聞いていただけますか?

『私の知り合いに法学者がいます。学者ですが、弁護士の資格を持っています。専門は国際法ですが、資格を使っていません。』

『名義借りかい?』口調は笑っていた。しかし、目は好奇心に輝いていた。

『人聞きの悪い・・・失礼ですが社長、今そんな口が聞ける経済状態ですか?

『こりゃ手厳しいな・・・それで?』有司は奈津子の正面に向き直って言った。

『お会いになります?

有司はしばらく黙っていた。「乗りかかった船だ、いくとこまで行ってみるか。」と囁く声が聞こえた。

『お願いします。』

有司は直立不動になると、奈津子に頭を下げた。

「ああ、素直でいいな・・男はこうでなくちゃ。よし、合格!」と奈津子は直感した。

第8章

モウモウと煙が充満する小さなホルモン焼き屋で仙頭、奈津子,有司の3人はしきりに手と口を動かしていた。仙頭教授を前にして有司は、自分が考える金融コンサルタントのあり方をしゃべった。

『アツアツッ!・・それで、堅実に返せる人には堅く貸す。ウメー!おばちゃん、ホルモン、3皿追加ね・・・。モラルハザードな奴にはそれなりの利息を取って貸し、むしりとれる場合はムシる。キュウリのヌカ漬、忘れんでね!』

『元手は?』と仙頭。

『・・・・市民・・・・ファンド。』じっくり、仙頭を値踏みするように有司が答えた。

『金を集めて何に投資するのかね?』

『国内海外を問わず、環境保全型社会資本への直接投資です。』

『ホウ!大きく出ましたなあ・・・それで?』

『まずは国内で足場を固めたい。焼けましたよ、先生。』

『ありがとう。それで、具体的プランは?

『風力・・・発電』再び有司は仙頭を値踏みするようにゆっくり答えた。

『頭金は?』

『1千万』

『少ないな。』

『出資者を集めるには社会的信用がいります。おばちゃん!心臓頂戴!二皿!』

『候補地は?』

『四国。』

『もっと具体的に』

『柏島・・・。』

『海かね?

『海風は重いのです。エネルギーの集積度合いが違う。従って、発電効率が高い。今、日本の風力は、山岳地帯に多い。しかし、日本は島国です。』

仙頭教授は少しの間、首を斜めに傾げたまま考えているようだった。ホルモンにかけられた唐辛子がこげて目に沁みた。

『法の許す範囲というなら協力しましょう。』あっさりと仙頭教授は言った。そして、笑いながら、

『というより、私は、奈津チャンのファンですから・・いやあ、煙いが,うまいな。これ,トンチャン?』

三人はそれからしばらく、モノも言わずにビールとホルモンに熱中した。


第9章 柏島

しかし、有司の思いは問屋が卸さなかった。
まんまとしてやられたよ、ヨツデンに・・・。そうはイカの金ちゃんって訳だ。』 ヨツデンとは四国の電力を一手に引き受けるある独占電力会社である。

今は柏島で環境インストラクターを務める大学時代の友人佐々岡を訪ねた有司はその夜、したたかに酒を酌んだ。柏島でのダイビングを終え、取れ立てのアオリイカを、旧中学校の校庭でキャンプファイアーさながらに焼きながら、有司は佐々岡に喚いた。
そこに絶望感はなかった。むしろ、彼の言葉尻には、企業防衛としては当然と言う雰囲気が漂ってい

 その週の初め、ヨツデンは風力発電の買取りに対し、民間枠はすでに満杯であり、これ以上の買取りは行なわないと新聞発表していた。表向きの理由は政府からの必要買取り量である1.35%の半分にあたる民間買受電力は、既に満杯であることを隠れ蓑にしていた。しかし、本音のところは、自社が運営する原発への国庫補助投入への露骨な布石であり、政府原発関係者も同意の上と推察された。
『馬鹿野郎共め。・・・どうしてアアも将来見通しが出来ないのだろうなあ。』

おい、ウツボはないのかい?あのタタキも美味かったなあ。

目先はいいさ。だが、将来を考えてみろ、原発では未来が危ない。いや、むしろ国民に対しては犯罪だぜ・・・そう思わないかあ?』

なんとも、有司はおかしそうに笑いながら言った。

『原発は二酸化炭素を排出しません・・か。』

佐々岡は同調した。

『そういえばここから原発は、目と鼻の先だな。』

『プルトニュームまで燃やす積りらしい。プルサーマルとか言って。』

『あそこの技術屋に知り合いがいるが、悪い奴には見えんがなあ。』と佐々岡。

『勿論、個人に悪党ヅラした奴はいないさ。悪党でござあい!そんな奴がこの世にいるかよ』と有司。

佐々岡は苦笑いすると一升瓶をつかんで、有司のぐい飲みに注いだ。

『何時呑んでも美味いな、高知の酒は・・・。どこの酒だ』

『桂月』

『大町桂月が愛したって言うあの酒か?』

『アア、全然酒臭くねえだろ?』

『これなら、1升でもいけそうだ。』と有司。

『で?勝算はあるのか?』

『ああ?ないさ・・・。まあ、次なる手を考えるさ。クヨクヨしたって始まらねえ。』いつもながら有司は暢気そうに見える。こうして明け方まで、二人は桂月を文字どおり一升空け、そして、焚き火の前でトロトロと眠った。

第10章に続く

 

 この小説はフィクションである。また、如何なる場合も転載を禁じ、あらゆる著作権の侵害を禁止する。
 

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